2019年1月4日

神道には還元力があるー罪は流してニュートラルにー

浄土真宗本願寺派住職であり、大学教授でもある釈徹宗さんの「宗教聖典を乱読する」を読んだ。

イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ教などなど世界の有名な宗教が出て来るのですが、ユニークなのは神道です。

神道のみですが、抜粋して備忘録的にまとめておくことに。


神道は感覚的情緒的なもので成立している側面が強く、儀礼中心の宗教なので、どんな宗教かと問われても説明が難しい。
神道といってもいろいろある。ここでは三つに分類。 
〇「民俗神道」
原始神道、部族神道とも言われ、神道以前の神道、あるいは律令時代に中央集権化されなかった神道。
おもに山の民や川の民など、差別を受けた人々が継承してきた例も多く見受けられる。 
〇「教派神道」
主に幕末から明治にかけて生まれた神道の教団。
教派神道には教祖がいて、教団があって、教義があります。いわゆる現在の一般的なイメージにつながる宗教の形となっている。
代表的なものに天理教、黒住教、金光教、御嶽教、大成教など。 
〇「神社神道」
いったん律令国家で中央集権化された神道。
天皇や豪族を中心とした神話に沿った神道。 
「神社神道」の流派を大雑把に三つにわけると、
・「渡会神道」両部神道、山王神道、法華神道などに対し、仏教色を排除しようとしているのが特徴
・「吉田神道」教説に密教や道教を取り入れたもの。
・「垂加神道」 国学であった朱子学や陰陽道を融合してできた。


さて、この本は聖典がテーマですが、「神道」には聖典という明確なものがなく、この「神道」では「大祓詞」(おおはらえのことば)を取り上げています。

「大祓詞」とは各地の神社で六月末日と十二月末日に宣られる千年以上続いている日本最古の祝詞です。

とはいえ結構内容は長いので最後のところを抜粋。

このようにお聞きくださいましたならば、罪という罪は一切きれいに無くなってしまうでしょう。
風が空に幾重にも重なっている雲をかき散らすように、また朝夕たちこめる霧を、朝夕の風が吹き払うように、、また港に泊まっている大舟を繋ぎ留めた舳先や艫の綱を解き放って大海に押しやるように、また彼方に繋がっている木の根元を、焼いて鍛えた鋭利な鎌で残すところなくなぎ払うように、後に漏れ残る罪は一切あるまいと祓い清められるでしょう・・・・(現代語訳) 
罪はまさに「水に流して」しまい、「息で吹き飛ばされ」、散退してしまいました。神道ではこのように罪やケガレを流す、祓うといった原則が働きます。
神道には絶えずニュートラル状態へと還元するという理念があります。
非日常態もいつかは日常へと還元されます。生活の中での“還元力”を賦活させるメカニズムです。 
常に還元を繰り返して暮らす風土・文化の中で、神道は息づいてきたのでしょう。
(かなり抜粋しています)

普段の生活では宗教色は薄い日本人ですが、日常の罪、ケガレをお祓いさえすれば消し去ってくれる。
普段の生活は棚に上げてでも(笑)お参りするのって日本人らしい?(笑)
ありがたいシステムです(笑)

日常生活で罪やケガレを貯めこまないように指導、教育しないのはなぜだろうかと思うのは僕だけでしょうか?
そう難しくないのが神道の良いところかもしれませんが。

とはいえ、やはり神社に行くと何やら有難い気持ちになったり、何か感じたり、感情に変化があったりします。

僕も好きな神社(神様)がいますのが、お参りをすると頭を下げると共に、謙虚な思いになるものです。



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