プラユキさん著「苦しまなくて、いいんだよ」も終盤になってきました。
ここでは「欲」「自我」を取り上げます。
私たちが生きていくうえで問題とされる「欲」ですが、プラユキさんの考えは面白いものとなっています。
一般には欲望を悪者扱いされ、「欲を捨てる」とかという言い方をよくします。
以前読んだあるお坊さんの本にも、「欲」は良くないものだから捉われないようにすべしと書かれていました。
僕は以前からいわゆる本能以外の欲、例えば物欲、出世欲、金銭欲などはできれば無いほうが良いと思うが、さて、“成長したいと”いう欲望はどうなのかと疑問に思うことがあります。
そもそもこの『成長したい欲』がなければ、この仏教はもちろん各宗教、また哲学、思想、道徳などに関心を持つことも無いだろうし、肉体的な『成長したい欲』もあるわけで、例えばマラソンを完走できるようになりたいとか、野球の腕をあげてレギュラーになりたいなどの欲もあるわけです。
これも欲だから否定できないと思っていたのです。
プラユキさんは、『欲』には二つの種類があると言われます。
一つ目は『タンハー(渇愛)』
感覚への渇望や、何らかのものを得たい、なりたいという欲望。
破壊したい、消滅させたいという欲求。
この「タンハー(渇愛)」にとらわれると苦しみに陥る。
二つ目は『チャンタ(意欲)』
向上心、大志。
成長方向、あるいは苦しみの解決に向けてのモチベーションになる。
タンハーは苦しみの元になるが、チャンタは苦しみを滅する要素になるとも書かれています。
この文面で腑に落ちた感触がありました。
“成長したい”という欲望は良いものだと解釈できますね。安心しました(笑)
そして、本書の中でさらなる洞察が進みます。
「心のデザインレシピ」として書かれています。
引用
①【タンハー(欲=渇愛)】と【チャンタ(意欲)】を二つに選り分ける。
②【タンハー(欲=意欲)】を育てて【チャンタ(意欲)】に成熟させます。
③【チャンタ(意欲)】を『精進』に発展させます。
④それに『知足(受容)』を加えます。
⑤最後にこれらをサイクル化していきます。
『意欲』を『精進』に繋げ、『受容(知足)』する。
そしてまた『意欲』を持ち『精進』し、『受容(知足)』する。
【タンハー(欲=渇愛)】も【チャンタ(意欲)】も、「何らかの行動を喚起させつエネルギー(動因)」であるということ自体に変わりはありません。しかし、そのエネルギーが「タンハー(欲)」では粗大な感覚的快楽や、その「果」の獲得へと向かい、一方「チャンタ(意欲)」では、真や善といった高次の価値や苦の滅却、そしてそれを実現するための「因」へと向かいます。ですから、そのようなことを自ら理解し、あるいは丁寧に教えられて、そういった方向に心を変容させていく訓練を積んでいくわけです。これを「心を育てる」と称しています。
どうでしょう、理論は素晴らしいのですが、抽象的で、僕はここだけでは、タンハーをチャンタに成熟させていく方法がいまひとつわかりにくく思います。
次回はもうすこし、細かく洞察さてている部分を書いていきたいと思います。
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