プラユキナラテボー著「苦しまなくて、いいんだよ」の感想を書きましたが、
未熟な僕なりにポイントをまとめてみたいと思います。
思考と思想の初心者のブログ。
思想・哲学・道徳・宗教(主に仏教)から生きる事を考えています。
人生まだまだ序の口の精神で、紆余曲折しつつ、自己研鑽しつつ、前向きに珍道中を歩んでおります。
2017年4月30日
苦しまなくて、いいんだよ。(書評)
この本が初めて読んだプラユキ氏の本です。
以下、前ブログに書いた記事の転載(一部加筆修正)ですがご了承ください。著者のプラユキ師はタイの上座仏教のお寺(スカトー寺)の副住職であるお方です。
しかし、名前はカタカナですが日本人なのです。
2017年4月29日
今までに興味があった宗教的なこと③
前回の続き
そのタイのお坊さんは「プラユキ・ナラテボー」という方。
(タイのお寺の副住職でありますが、日本人の方)
講座は短時間講座で(確か2~3時間)で瞑想を生活に取り入れるというテーマ。
ま、短時間だし、値段も安いのでお試しで行ってみようかと思ったのだけどその日は仕事の都合で無理。
と、ネットで調べるとその講座の数日後、岐阜でも講座があることを知ったがこの日も仕事で無理・・うーん、今回は諦めようと思った。
仕方なく本で勉強しようと思い、上座仏教の本を探しました。
それらしき本がいろいろありましたが、上座仏教の類ではスリランカの上座仏教(テーラワーダ仏教)のスマナサーラ長老という方の本が多く並んでいました。(日本では有名なようで、書店や図書館にはズラリと著書が並んでいました。)
立ち読みした感じ内容は気に入るものが多かったのですが、さて、どこから手を付ければよいものかと。
どれか買おうかと思ったけれど、その日はやめ、後日図書館でスマナサーラ氏の上座仏教入門的な本を借りて一気に読みました。
しかし、書いている内容は良いけどどこか肌に合わない感じが伴う。
なんでかなとモヤモヤして、図書館の棚を見ていたらあのプラユキ・ナラテボー氏が一冊ありました。
「苦しまなくて、いいんだよ」という本でした。
今度はこれを借りて読んでみようと読んだのですが、
そしたらなんでしょう!こちらの本はとても対話形式ではあるけど、ブッダの理論もしっかりと書かれていてそして解り易く、受け入れやすい感じで書かれていて大変惹かれました。
この本を読んだのがまだ一ヶ月ほど前の事です。
そして再びプラユキ・ナラテボーさんの講座を調べたところ、4月の末に京都で瞑想会があるとのこと。
ちょっと遠いけど、それほど遠いわけでもない。
しかも一日コースもあるのでお得なのです。
あとは、気持ちと休みが取れるかどうか・・
そして休みはなんとか取れて無事参加できることになったのであります。
ここからが上座仏教のスタートです
そのタイのお坊さんは「プラユキ・ナラテボー」という方。
(タイのお寺の副住職でありますが、日本人の方)
講座は短時間講座で(確か2~3時間)で瞑想を生活に取り入れるというテーマ。
ま、短時間だし、値段も安いのでお試しで行ってみようかと思ったのだけどその日は仕事の都合で無理。
と、ネットで調べるとその講座の数日後、岐阜でも講座があることを知ったがこの日も仕事で無理・・うーん、今回は諦めようと思った。
仕方なく本で勉強しようと思い、上座仏教の本を探しました。
それらしき本がいろいろありましたが、上座仏教の類ではスリランカの上座仏教(テーラワーダ仏教)のスマナサーラ長老という方の本が多く並んでいました。(日本では有名なようで、書店や図書館にはズラリと著書が並んでいました。)
立ち読みした感じ内容は気に入るものが多かったのですが、さて、どこから手を付ければよいものかと。
どれか買おうかと思ったけれど、その日はやめ、後日図書館でスマナサーラ氏の上座仏教入門的な本を借りて一気に読みました。
しかし、書いている内容は良いけどどこか肌に合わない感じが伴う。
なんでかなとモヤモヤして、図書館の棚を見ていたらあのプラユキ・ナラテボー氏が一冊ありました。
「苦しまなくて、いいんだよ」という本でした。
今度はこれを借りて読んでみようと読んだのですが、
そしたらなんでしょう!こちらの本はとても対話形式ではあるけど、ブッダの理論もしっかりと書かれていてそして解り易く、受け入れやすい感じで書かれていて大変惹かれました。
この本を読んだのがまだ一ヶ月ほど前の事です。
そして再びプラユキ・ナラテボーさんの講座を調べたところ、4月の末に京都で瞑想会があるとのこと。
ちょっと遠いけど、それほど遠いわけでもない。
しかも一日コースもあるのでお得なのです。
あとは、気持ちと休みが取れるかどうか・・
そして休みはなんとか取れて無事参加できることになったのであります。
ここからが上座仏教のスタートです
2017年4月28日
今までに興味があった宗教的なこと②
その後、また宗教などから関心は薄れてきたのですが、また禅に興味を持ち始めます。
手元にある禅の関係の本や、図書館で禅の関連の本を読んでいた。
禅はそもそも仏教なわけですが、仏教のことやブッダ(お釈迦様)のこと、実は詳しく知らないことに気づく。
昔手塚治虫のブッダを読んだことはあるがあとは学んだ事が殆どない。
なんとも情けない。
そんなとき、本棚にあったが読んでなかったこの本「仏教の教えが面白いほどわかる本」を手に取って読んでみた。
ブログ記事(Walk Onより)
自己啓発系の本などでブッダの言葉とかなんとかの類の本は多くありますし、日本の宗派だと日蓮や親鸞、空海などのことも目に触れることがあります。しかし意外とブッダの教えについては詳しくしらなかった。
この本を読むと目から鱗でした。
ブログの記事にも書いていますが、一番インパクトが大きかったのが上座部仏教と大乗仏教の違いです。まったく知りませんでした。
僕の性格からして、崇拝や信仰とはちょっと違い、自ら向上させていくという上座部仏教に興味が湧いたのであります。
ベクトルとして日本の禅宗も似たところはありますが、途中中国に渡り、そこから日本に来ていますので、解釈が変わってきていることろもあるのです。
かくしてどのように学ぶべきか。
手っ取り早いのは本を読むことです。
そんな時、ふと新聞の折り込みチラシを見ると中日文化センターの講座の中に“タイ上座仏教僧”の方の講座があるのを発見!
名前は知らない人。
むむ、興味が湧いてきました。
続く
手元にある禅の関係の本や、図書館で禅の関連の本を読んでいた。
禅はそもそも仏教なわけですが、仏教のことやブッダ(お釈迦様)のこと、実は詳しく知らないことに気づく。
昔手塚治虫のブッダを読んだことはあるがあとは学んだ事が殆どない。
なんとも情けない。
そんなとき、本棚にあったが読んでなかったこの本「仏教の教えが面白いほどわかる本」を手に取って読んでみた。
ブログ記事(Walk Onより)
自己啓発系の本などでブッダの言葉とかなんとかの類の本は多くありますし、日本の宗派だと日蓮や親鸞、空海などのことも目に触れることがあります。しかし意外とブッダの教えについては詳しくしらなかった。
この本を読むと目から鱗でした。
ブログの記事にも書いていますが、一番インパクトが大きかったのが上座部仏教と大乗仏教の違いです。まったく知りませんでした。
僕の性格からして、崇拝や信仰とはちょっと違い、自ら向上させていくという上座部仏教に興味が湧いたのであります。
ベクトルとして日本の禅宗も似たところはありますが、途中中国に渡り、そこから日本に来ていますので、解釈が変わってきていることろもあるのです。
かくしてどのように学ぶべきか。
手っ取り早いのは本を読むことです。
そんな時、ふと新聞の折り込みチラシを見ると中日文化センターの講座の中に“タイ上座仏教僧”の方の講座があるのを発見!
名前は知らない人。
むむ、興味が湧いてきました。
続く
2017年4月27日
今までに興味があった宗教的なこと①
簡単ではありますが、今までどんなことをかじってきたか振り返ります。
そもそも育った家では熱心な仏教徒ではなかったですし、教えもあまり知りませんでした。
しかし、特定の宗教ではなく、霊の話や、輪廻転生、精神世界、神、悟りなどそういったことは日常的に話す家庭でした。
とはいえ僕自身は特別な体験をしたり、実感することはほぼなく、知識としてはあるがどっぷりとハマるような事はなかったように思います。
ただ、生きていくうえで心身の悩みなどがあったときに、そういう見えないものからの観点で考えるということはしばしばありました。
昔の話ですが、精神世界で有名な方のセミナーやリトリートに行ったことや、聖者と言われる方に教えを乞うこともありました。
しかし、自分と相性が悪かったのか方向性が違うのか、尻すぼみにフェードアウトしてしまいます。
スピリチュアルな世界を疑うわけではありませんでしたけど、もうそういう世界に触れるのが嫌になった時期もあります。
数年前に地元のお寺で座禅会なるものに通っているときもありましたが、気持ち的には気分転換的なものでしたので、形式は教わることができましたが、得るものがあまりありませんでした。
禅を本格的に学ぼうかと思えばまた違った形で身に付けることもできたかもしれませんが、そこまでの気持ちは当時はありませんでした。
軽くではありますが、小池龍之介氏やネルケ無法氏の本は何冊か読んだりしました。
しばらくスピリチュアルなことや、宗教的なことから離れていましたが、昨年某ラジオで仙台のお寺「慈眼寺」の住職の塩沼亮潤氏を知りました。
塩沼さんは高野山の大峯千日回峰行を達成された方です。
“千日回峰”というのを知らなかったのですが、厳密には種類がいろいろあるようですが、この“大峯千日回峰行”はなかでも特に厳しい内容のようで、標高差1355mある山道を往復48kmを1000日間歩き続けるという修行です。
(年間に歩ける日数が決まっているので9年かかるそうです)
そのお話を聞いて、こんな過酷な事をこなせる方ってどんな素晴らしい人なのだろうかと興味をいだきました。
どうやらその大峯千日回峰行を達成した後には、「四無行」という4日間、食べず、飲まず、寝ず、横にならずという行なのです。
一つでも大変ですがすべてこなすのはこれ相当な事です。
塩沼さんに惹かれその後書かれた本も何冊か読ませていただき、苦行の事や学ばれたことを多くかかれており、本からいろいろと学ばさせていただきました。
長くなってきたので次回に続きます(笑)
そもそも育った家では熱心な仏教徒ではなかったですし、教えもあまり知りませんでした。
しかし、特定の宗教ではなく、霊の話や、輪廻転生、精神世界、神、悟りなどそういったことは日常的に話す家庭でした。
とはいえ僕自身は特別な体験をしたり、実感することはほぼなく、知識としてはあるがどっぷりとハマるような事はなかったように思います。
ただ、生きていくうえで心身の悩みなどがあったときに、そういう見えないものからの観点で考えるということはしばしばありました。
昔の話ですが、精神世界で有名な方のセミナーやリトリートに行ったことや、聖者と言われる方に教えを乞うこともありました。
しかし、自分と相性が悪かったのか方向性が違うのか、尻すぼみにフェードアウトしてしまいます。
スピリチュアルな世界を疑うわけではありませんでしたけど、もうそういう世界に触れるのが嫌になった時期もあります。
数年前に地元のお寺で座禅会なるものに通っているときもありましたが、気持ち的には気分転換的なものでしたので、形式は教わることができましたが、得るものがあまりありませんでした。
禅を本格的に学ぼうかと思えばまた違った形で身に付けることもできたかもしれませんが、そこまでの気持ちは当時はありませんでした。
軽くではありますが、小池龍之介氏やネルケ無法氏の本は何冊か読んだりしました。
しばらくスピリチュアルなことや、宗教的なことから離れていましたが、昨年某ラジオで仙台のお寺「慈眼寺」の住職の塩沼亮潤氏を知りました。
塩沼さんは高野山の大峯千日回峰行を達成された方です。
“千日回峰”というのを知らなかったのですが、厳密には種類がいろいろあるようですが、この“大峯千日回峰行”はなかでも特に厳しい内容のようで、標高差1355mある山道を往復48kmを1000日間歩き続けるという修行です。
(年間に歩ける日数が決まっているので9年かかるそうです)
そのお話を聞いて、こんな過酷な事をこなせる方ってどんな素晴らしい人なのだろうかと興味をいだきました。
どうやらその大峯千日回峰行を達成した後には、「四無行」という4日間、食べず、飲まず、寝ず、横にならずという行なのです。
一つでも大変ですがすべてこなすのはこれ相当な事です。
塩沼さんに惹かれその後書かれた本も何冊か読ませていただき、苦行の事や学ばれたことを多くかかれており、本からいろいろと学ばさせていただきました。
長くなってきたので次回に続きます(笑)
新ブログ開設にあたって
思想、哲学、宗教などちょっと深いテーマでブログを書いていこうと思い新たにブログを開設しました。
「Way of Life」=生きる道という意味で自分なりに“いったいどう生きていくのが良いのか探求する”というテーマで学んだ事や経験したことをまとめ、そしてより洞察して深める作業もやっていけたらと思います。
「Way of Life」=生きる道という意味で自分なりに“いったいどう生きていくのが良いのか探求する”というテーマで学んだ事や経験したことをまとめ、そしてより洞察して深める作業もやっていけたらと思います。
当面は仏教について深く掘り下げていく予定ですが、宗教、仏教にこだわらず思想、哲学、歴史なども織り交ぜていけたらと思っています。
とはいえ専門知識はあまり持っていないので、比較的にわかりやすい内容になるのではと思います。
自分の為に書くとともに、閲覧していただける方の為にもなれば幸いです。
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