2019年1月8日

「花のベッドでひるねして」(よしもとばなな)

よしもとばなな著「花のベッドでひるねして」を読んだ。

超有名な作家ですが、実は読んだのは初めて。


そもそも僕は小説をほとんど読まない。
せいぜい一年に一冊か二冊。
ノンフィクションや自己啓発、解説、実務書みたいなのが多い。

なぜ突然よしもとばなななのかというとこのブログで時々紹介している「ラジオ瞑想」関係で紹介されていたから。

この本には、そのラジオ瞑想で伝えていることが表現されているというのです。

と興味深々で、普段小説を読まない僕が正月休みを利用して読んでみたのです。


---感想---

うーん、この世界、今までの僕なら読みませんね(笑)
なんかスピリチュアル系っていつのころからか敬遠していました。

内容の半分は僕の育った環境ではよく出て来るような話だったりします。

夢でメッセージと伝えたり、埋められている者(物)が人を介して伝えようとしたり。
自分には経験はありませんが、そんな話はうちの家庭ではよくする話なので別に不思議なことではない。
(ただ、僕がどこまで信用しているかは別だけど)

でもさすがに夢に故人がでてきて延々と会話するなんてのは聞いたことは無いけど。

という不思議な話はさておき、登場するおじいさん、主人公の幹さんの言葉にオッと驚くものがいくつかあったので書き残しておきます。


備忘録的ですが長くてごめんなさい(・_・;)

・たいていの人たちは自分たちで作った網に追い込まれてそのことに気がつかない。だれもが自分で自分に魔法をかけて、自分だけの夢の中に自分を閉じ込めていくように私には見えた。 
こんなに大きな夢の中にいるのに、わざわざ透明なカプセルの中に自ら入って目隠しをしてヘッドホンをしてぶつぶつしゃべっているみたいに見えた。  
・毎日のほとんどのことは、まるで意地の悪いひっかけ問題みたいに違うことへと誘っている。でも違うことをしなければ、ただ単に違わないことが返ってくるだけなんだ。そうしていれば、私のできることはだれにでもできる。 
それぞれに「違うこと」は違う。誘われやすさはその人の長所のすぐとなりにあるから、だれもが毎日十円、百円と借金をするように、「違うこと」をしている。それはやがて大きくなって返ってくるか、欲しいものがそうとう時差をへないと、あるいは全く手に入らなくなる。 
毎瞬いかに誘われないかが全てだし、誘われたことにどう対応するかが全てなんだ。首尾よくやった証拠として商品がくる。その体験をどう大事にして、どう新たにまた誘われずにいくか、人生の最後までこのゲームだけでできている。このゲームのルールは生まれてくるときに自分で設定するのだと思うと、いちばんしっくりとくる。 
・引き寄せっていうのはつまり、欲の問題だろう?でも、俺のはそれじゃないんだ。欲がないところにだけ、広くて大きな海がある。海には絶妙なバランスがある。その中を泳ぎながら、俺は最低限の魚をとって食べている、ただそれだけのことなんだ。有名になる必要はないし、足りているもので生きればいい、そう決めれば必要なものはそこにあるんだ。 
花のベッドに寝ころんでいるような生き方をするんだよ。幹(主人公)のいちばんいいところは、心から幸せの価値を知っていることだ。今のままでいい。うっとりと花のベッドに寝ころんでいるような生き方をするんだ。
もちろん人生はきつくたいへんだし様々な苦痛に満ちている。それでも心の底から、だれが何と言おうと、だれにもわからないやり方でそうするんだ、まるでベッドにねころんでひるねしているみたいに。いつだってまるで今、そのひるねから生まれたての気分で起きてきたみたいにな。 
・「違うこと」を選ばなくてはいけない、人にはそういうときもある、そういうときはそれが違うことだと毎日のように自覚して調整すればいい。 
 混乱することはない。流れに乗るんだ。違うことをしてしまわないように。その都度考えて、肚に聞いてみなさい、景色をよく見て、目を遠くまで動かして、深呼吸しなさい。そして、もしもやもやしていなかったらその自分を信じろ。もやもやしたら、もやもやしていていも進むかどうか考えてみなさい。そんなもの、どこからでも巻き返せる。 
・花のベッドで寝ころんでひるねしているように生きるのは楽なことではないけれど、それを選んだからには、周りにいくらそう思われてもしかたがない。
わかる人にはわかるし、わからない人にはわからなくていい。人が一生をかけて本気で成そうとしていることなのだから、簡単にわかられても困るのだ。
 
・静かな池の水をかきまぜたら、奥にあるものも出てくるし、まわりの空気も動く。底にあったドロドロがみんな浮かんでくるし、動いた空気の中には信じられないくらい美しいものも見つけられる。それが落ち着いてまた水が澄んだ状態になったとき、池は前を同じ状態じゃない。良くなったのでも悪くなったのでもない、ただ動いただけ。 
そんなことを考えながら、世界と私はいつものようにきらきらとした目でお互いを賞賛し合い、見つめ合っていた。 
そうそう、こっちが見ているだけじゃない。向こうも見ているんだ。
その目はどこにあるかというと、天に大きな目があるわけじゃない、なぜか私の中にあるのだ。
私の中にあるもうひとつの目が、世界の側にとって力を入れる窓なのだ。だから私がどういうふうに世界を見るかを世界は見ている。
不思議な言葉が綴られていますが、本当にラジオ瞑想で言われていることとそっくりです。
少し前ならこのスピリチュアル的なものには興味が無かったが、この本の内容は受け入れられる気がします・・・

この本には、目に見える現実の世界と目に見えない世界が描かれていますが、何かを崇拝するとか信仰する対象が全くありません。
しかし、宇宙の仕組みがわかるヒントがあるような気がします。

「違うこと」をしないこと。興味がありますね。

よしもとばななさん、真理を知っているようですかね、他の本も読んでみようかと思います。



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