2017年11月23日

【読書録】『「病」の意味』(島田明徳著)

武道や気の修練タオ(仙道)に精通する著者。
島田さんの本は他にも読んだことがありますが、今回は病気についての本を読んだので感想を。
(赤文字は本書抜粋の文です)

生きているから病気になる


今はあまり表だって活動をされていないようなのですが武道で有名な方なようです。
他に『「気」の意味』、『「悟り」の意味』を読んだことがあり大変面白かったですが、この頃僕の体調があまりよろしくないのでこの本を手に取りました。
ちなみにこの本は1994年に出版されたものです。

著者島田氏は宗教を否定する傾向がありますので、ジャンルとしては精神世界や「気」に類すると思われます。

まず、人間にとって病気とは何なのかということについてこう書かれています。

"病気の本当の原因は「生体を侵すと考えられている外部からの刺激に身体がうまく対応できないために起きている」
 
私達は「生きている」から病気になるのであって、死んでしまえば病気になりません。つまり、病気は「生きている私達」に起こっている困った出来事と言えるわけです"
とあります。
当然といえば当然ですが、普段の生活ではあまりこう考えることは無いのではないでしょうか。


なぜ病気になるのか


続いて病気を論じる前提についてこう書かれています。

"「人間が存在していること」それはつまるところ、自分が存在していることに対する問いかけを持つことです。「自分はどうして生まれたのか?」「どこへ行こうとしているのかを知ろうとすること」は人間が生きる上での基本なのです。 
自分がどうしてここにいる(存在している)のかについて知らないまま「人間(自分)とはこうあるべきだ」とか「病気がなぜ生じるか」といたことを論じることはできません。"
まず自分の存在が何なのかを知る事から始まるということです。

続いて自分の心について書かれています。

"私達は自分の「心」の働きについて無関心です。その証拠に自分の心の働きに注意を向けている人はほとんどいません。 
その結果、自分の「思いや考え」が「人工的」なものであるということに気づいている人は殆どいないのです。"
本には書かれていますが、「人工的な思いや考え」とは、親や他者から得られた考えということです。人間は誰しもだれかの影響を受けて育っていますので、自己以外から受けた思いや考えを「人工的」を定義付けしています。
そこをしっかりと理解する必要があるということです。
ただ、ここのところをもう少し詳しく説明があると良かったのですが・・


法則と調和することが肝心


いよいよ核心に迫っていくのですが、自分の意思ではないところで働く人間の活動、例えば心臓の動き、食べ物の消化吸収、血液の循環など意識していないのに活動しているという「働き」の事を法則と言っています。

"私達は「生活」をしていくうえで必要な自分の意思(思いや考え)と「存在」する為に必要な「法則」という二つの働きをうまく調和させなければならないのです。 
しかも、優先権は「法則」の側にあります。それなのに、その法則が自覚できない為にいつも無視しています。これでは病気がなくならないのも当然です"

自分と宇宙の法則に歪ができているので体調を崩すということです。

"病気は間違いなく「存在」の方の自分から生じてきます。もちろん意地悪をして病気を生み出すわけではありません。病気にならざるを得ないような状況を「生活」の自分が創っているのです。"
無意識の法則ではなく、自己である「生活の自分」が病気の原因を作っているということです。
言い換えれば顕在意識といえるでしょうか。

そして調和した状態とはどういう状態かという事について
"自然と調和した心の状態とは、楽しく、安らいだ心の状態、とらわれのない心の状態のことです。
例えばお風呂に入ってゆったりとリラックスして、嫌な事、不快なことなど忘れている「心」の状態えです。自然と調和していない心の状態とはイライラしたり、落ち込んでいたり、クヨクヨと自分の思いにとらわれて緊張している「心」の状態です。
 
私たちが自分に内在している機能、能力といったものをより多く引き出すには自然と調和した「心」の状態が不可欠です。自然と調和するためのカギは自分勝手な「思いや考え」を捨てることです"

ようするにネガティブな心理状態は不調和であり、ポジティブというかフラットな精神状態こそが調和しているといえるでしょうか。平常心と言っても良いと思いますね。

さらに自分という存在を意識することの大切さはこう書かれています。

"私たちは自分という存在に対する意識を深め、自分が存在しているということは自分の内部でどのような力が働いているのかを知る必要があります。 
自分勝手な「思いや考え」に振り回されて自分の内部で自分を生かしてくれている「法則」を無視していては病気などによって自分の存在そのものに危機が生じるのも当然なのです"
"心を身体のジョイントを良くしておけば「法則」との調和は身体が自然に教えてくれるようになります。もう一つ、「正しい心」と思っている心が確かに「法則」と調和した心の状態かどうかの学習が必要です。"
最後の正しい心の見極め方については適格な指導者が必要ともかかれており曖昧な表現で少し残念ですが、「法則」というものは言葉では説明しにくいもので体現するものをして気功とかヨガも例として挙げられています。


心と身体をジョイントする『知』を知ること


最終的には自分を知るということ、学習していくことが大切だということです。

言葉では理解できないものを知っていく方法として、自分の身体と自分の自覚している意識(心)との繋がりを良くしておくこととあり、島田氏の著書『「気」の意味』『「悟り」の意味』を参照にいうことです。
最終的に言葉では説明が難しいとの結論ですが、そのような学習と修練に取り組むことで、『知』を深め、病気の本質、自分の本質といった通常の『知』では得られない理解を得られるとされています。


今日の宗教のほとんどが既に本来の宗教としての機能を失っている


巻末に「宗教で病気がなおるか?」という記事がありました。
まとめますと、本来宗教は「人間はどうして生まれたのか?」「人間はどのように生きればよいのか?」という人間の根源的な疑問に対して、人間一人ひとりが答えを得られるように自己探求のためのノウハウを教えるものであったのが、人間一人ひとりが「自分の存在」に向かうことなく、ただ「救われたい、安らぎたい」という何かに依存しようとする欲求に振り回されて、「おかげ」と「罰」を気にして本来の自分のありかたを見失っているということです。

「この宗教を信仰すると良くなる」「苦しみから逃れられる」などといった個人の目的ではなく、そのような欲求を見つめて、そんな欲求を持つ「自分とは何か?」を問い続け、その答を得るための教えが本来の宗教であったということです。

やはり人は自分や世の中の仕組みがわからず、この生きている、生活している自分があるのだが、何者か?生死とは何か?を昔から疑問に思ったのでしょう。

信仰する宗教も何かのきっかけにはなるでしょうが、そもそも宗教観の希薄な日本人は、ウマい話(救済される、おかげがある)があれば寄っていきたくなるのではないでしょうか?

それが本来の宗教では無いということを知るだけでも大きな収穫と思えます。

とはいえ、仏教などでは宗派により考えが違います。特に禅宗では信仰色が薄く感じますし、タイやスリランカなどの上座仏教となるとさらに信仰色は無いと思われます。



最後に。

本書の中にはまた先天性の病気について前世や来生のことにも触れていて大変面白い内容でした。
病気について昔からなんとなく自分で思っていた事とシンクロする内容もありましたが、新たな発見も多く、さらに知識を深めたいと思える一冊でした。

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