2017年5月22日

『「苦しまなくて、いいんだよ」を読み解く』の最終回

この本を読んで改めて仏教の考え方を学びました。

宗教、哲学、スピリチュアルなどは自己の内面を変えていく、成長させていく方法のひとつであると思いますが、どれも方法というかベクトルが違うように思います。




その中にある仏教とは日本人には馴染みがあるとはいえ、伝来して浸透してきた今までの過程が複雑だったこともあり、また伝来時と現在で文明の進化が違い、環境が違い、生命という概念や価値観も変わっていて、日本人が仏教や宗教に対する思いが昔と今では違うように思います。

いわゆる何かを崇め、すがるようなものを宗教ととらわれがちですが、仏教を学んでいくと、そこには崇拝や依存は殆どなく、自らをどのように変えていけばいいかという自助の精神が根本にあります。

元はたった一人ブッダの教えではありますが、上座部仏教と大乗仏教、日本の各宗派の仏教など複雑化されてはいますがそれぞれに学ぶことがあるのでこれからも学んでいきたいと思います。

この本の最後に書かれている文章を紹介しておきます。






引用
ある者がブッダにこう問いかけてきました。
「森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食だけとるだけであるが、その顔はどうしてあのように明朗なのでしょうか」
ブッダはこのように答えました。
「彼らは過ぎ去ったことを思い出して悲しまない。未来のことにあくせくすることもない。ただ、現在に心を込めて暮らす。だから顔色が明朗なのだ。ところが迷い人は、未来のことにあくせくし、
過去のことを思い出して悲しみ、そのために萎れている まるで刈られた葦のように」














行きつくところは「今を生きる」「気づいて生きる」という事です。
しかし、凡人な僕などはなかなか難しく、日々精進が必要なわけです。

このブログでは今まであまり瞑想については取り上げませんでしたが、本書また、他のプラユキさんの本にはブッダの瞑想法や気づきの瞑想法も載っております。

ブッダの教えと共に瞑想も行うことにより気づきを高め、自己を高めることと思います。

プラユキ・ナラテボーさんの本(amazon)

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