前回の記事の続きで、「欲=渇愛(タンハー)」を「意欲(チャンタ)」に成熟させるプロセスをどうするかということですが、プラユキさんはこの流れを「心を育てる」と称しています。
その例えとして、「怒り」から「智恵」を生み出し、「熱情」からは「慈悲」を生み出すと言われます。
「怒り」と「智恵」はどちらも知的な営みから生じてくるものであります。
自分自身の意見や見解に固執しているときに、相手から異なった意見、見解が述べられると、とたんに「怒り」となるが、「そういった意見モノの見方があるんだな。」といった感じで理解に繋げていけば「智恵」になる。
また、「熱情」と「慈悲」についても、エネルギーが個に閉塞して、ただ相手に求めるだけだと「熱情」や「情欲」となるが、相手に対して心を開き、相手のハートから生じるエネルギーにも共感し、自身のエネルギーを相手に与えてあげるときに「慈悲」になるということです。
ようするに、「欲=渇愛(タンハー)」のような湧き上がる感情、怒り、慢心、悲しみなど、受け入れて(受容)、気づき、思いやりにより潤いを与え、正しく理解されて、適切な対応が図られたとき、それらの未熟な心が良質な心へと成熟していくということです。
何度も本の中にでてくるように、とにかく心に起きている現象をよく見きわめ、明らめて対応していくことが基本だということです。
普段から行えている人であればよいですが、普段は欲望まみれで自分をコントロールできないような人であれば、まずこういう考えがあるのだという事を知り、少しずつでも生活の中で取り入れていけばよいのではないかと思います。
また、同時に瞑想も取り入れていくことでより容易に心が変わっていくのではないかとも思います。
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