2017年5月1日

仏教におけるテーマ 「苦しまなくて、いいんだよ」を読み解く②

さて、書名にもなっている「苦」というテーマですが、なぜ幸福を求めるというテーマではないのかという理由を以下のように書かれています。


(引用)
一般的には「幸福=外側の何かを得ること」と考えられるので、「幸せを得るために」という文脈だと外側の何かを求める方向、あるいは結果だけを欲する方向、ブッダが避けるように教えた「欲(渇愛)」のほうへ意識が向かってしまうかもしれない。


これも納得できるところです。
「かもしれない」ということなので否定では無いけれど、求めるということになると欲になるという訳ですね。

ブッダが「苦しみ」(苦しみを滅する)をテーマにしたのは何故か。
プラユキさんは、ブッダが「苦しみ」をテーマにしたことに大きな意義を感じていると書かれています。
その理由は以下のように書かれています。

(引用)
1.苦しみは古今東西、老若男女、誰もが直面するであるということです。そして、よくよく見れば、一瞬一瞬刻々と遭遇している事実が垣間見えてくるかもしれません。
それほどまでに身近でかつ日常的な現象であり、そこから解放され、自由にイキイキと生きたいと願わない者はいないという切実な課題です。
そう願いながらも、日常のそこかしこで苦しみに苛まれながら過ごしているというのが現実ではないでしょうか。

ブッダはまさにその「苦しみ」という普遍的かつ実践的なテーマに関心を向け、その克服を目指し、身命を賭して修行に取り組みました。そして試行錯誤を重ねながらの奮闘の末に、とうとう苦しみの全き開放(苦の終滅)に至ります。

このとき発見された苦から滅苦へと至る「解放」の原理こそが仏教、すなわちブッダの教えの核心です。

2.「苦しみ」というものが「智恵」と「慈悲」の結節点になっているという点。

「苦しみ」克服プロセスは、そっくりそのまま「智恵」醸成のプロセスと重なってきます。

同時に「苦しみ」を自らでしっかりと感じ取り、見つめ、理解することは、「苦しみ」という厄介でつらい体験を共有しあう他者、さらには生きとし生けるものすべてに対する共感の念、あるいは「慈悲」の心を培うことにもつながります。

普通の人は誰でも「苦しみ」は感じるもの、そしてその「苦しみ」をどう対処していくかが問題になってきます。

普段の生活で、苦しいとき、辛いときに、ただ解消することや、発散されることを行うのではなく、正面から受け止めるということが根本的な解決になるのではないかと思います。

まさに、その考え方が人を成長させていくのではないかと思います。

引用が長くなりましたが、僕的にこの部分は上座仏教の考えの根幹があるように思えたのでたくさん載せました。

「苦」はたとえて言えば、「必要悪」とでもいえるでしょうか?・・・(ニュアンスの問題ですが語弊があったらすみません)
普段の生活でも何か困難な状況が起きたとき、それから逃げるのではなく、正面から向かって乗り越えた時に自己の成長が感じられる時があります。
ただ、現実世界のスキル(技術)というわけではなく、心理面で何か乗り越えられて成長した時、考えようによってはその「困難な状況」なくしては成長が無かったといえることがあるのではないでしょうか。

この文面からもブッダの教えが対象物に頼るのではなく自分で解決の道筋を作るということがうかがえます。

「智恵」と「慈悲」という言葉はブッダの教えとは切り離せないテーマで、今後いろいろと取り上げていきたいと思います。

さらにブッダの教えについて書かれています。

(引用)
仏教は決して死者のための儀式要綱でもなく、哲学的な思索に留まるような机上の空論でもなく、また、一部の人たちのための悟りのマニュアルでもありません。

この世に生を享け、苦しみを減ずることができ、やがては滅苦にまで至ることができる、そういう教えです。
日本で普通に生活している人は普段の生活に仏教はあまり関わりがなく、どちらかというと人が死んだ場合の葬儀や法事、墓参りなどの時に関わるようになっています。
しかし、本来のブッダはそのような死後の儀式は細かく教えてはいないのです。

考えてもみればブッダは悟りを開いた後、多くの弟子に何を教えたでしょうか?
葬儀のあげかたや墓の作り方を教えた訳では無いと思います。

今生きている人々によりよく生きていく為の教えを説いたわけです。
本来なら日本の出家されているお坊さん方は、そういう教えを説いていただきたいと思うのですが、ちょっと方向が違ってしまっているのが日本の仏教だと思います。

翻って本来の仏教ってそういうものなのかと思うとなんだか頼もしいものだと思えます。
もっと日本のお坊さんにも頑張ってほしいと思いますね。

どのようにすれば苦しみを滅することができるのか今後すすめて行きたいと思います。


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