2018年8月13日

現時点での【さとり】の結論。(読書録)

前回の記事まで連続して読書録を書いてきた、小出遥子さんの『教えて、お坊さん!「さとり」ってなんですか』の感想を書きたいと思います。
著者のあとがきまで読み終えました。

様々な宗派の方が登場しているので、多角的な捉え方が一冊の本で読めて面白い内容だと思います。
不肖ながら色々と宗教、仏教などの本はいろいろ読んできましたが、この本は軽くもなく重くもない調度良いくらいの内容かと思っていましたが、実は結構重くて難解な本でした。

対談形式なので読みやすいのですが、いろいろなところに肝要なことが散りばめられています。

藤田一照氏は「分断されている夢からさめてつながること」、
横田南嶺氏も同じように「世界は夢であり、それに気づいて生きていくこと」、
小池龍之介氏は、「なにものでもなく、なにものにもならず、ただ気づいて生きること」と前半は禅宗っぽい内容でした。
続く堀澤祖門氏は同じ“気づく”でも少しアプローチが違う気がします。「我々は泥仏、泥を落とそうとせず仏と気づくこと」。
説明が難しいですが、仏というイメージするものが現れて【それ】に気づくというのが前半の三者とは違います。
そして釈徹宗氏はガラッと変わり、輪廻から生を考える「終わらない物語を生きる」となり、これに気づくこともまたさとりなりと思います。
大峯顯氏は、輪廻する魂のことを「ほんとうのいのち」と言いたかったのだと思いますが、言い方が正しいかわかりませんが、その【システム】に気づくこと、理解して生きることが「さとり」
だという事なのではないかと思います。

同じ仏教でも考え方は様々です。
僕の考えはどちらかといえば禅宗寄り、上座仏教寄りですが、浄土真宗の教えも良いなと感じました。

さて、本題の「さとり」ですが、著者小出さんのあとがきにも書かれていますが、わからないのです。
それぞれの宗派立場で捉え方が違うのですが、どれも言葉での表現は難しく。あるいは理解が難しいのです。
なにしろ「さとり」という定義が無いのですから説明も難しいものになるのだと思います。

僕としてのまとめは、輪廻や魂、宇宙の仕組みは存在すると思います。
それらを知識で理解することはできても、『本当に気づく』(A)ことが難しい。これに気づくことが一つ。
もう一つは、その仕組みはあっても無くてもよい、『今生きていることを(時間軸的に)感じ、気づいてくこと』(B)。
この本には出てきませんが、(B)に“気づいて”生きるだけでも十分ですが、その先はひょっとしたら(A)に繋がるのかもしれません。わかりませんが・・・

仏教に限らずいわゆる精神世界のようなジャンルでも昔から「さとり」という言葉があります。
それらが、意味するものは全て同じかもしれませんし、「さとり」自体にもレベルがあるという考えの方もいます。
だとしたら、「さとった」と体感しても、それが本当の「さとり」なのかどうかはわからないというのが事実だと思いますが、真相は「さとった体験」をした人にしかわからないものなのではないでしょうか。

これからできることは、あらゆる教えやヒントを参考にし、思考し、体験、経験をしながら求めていくとその先に出会えるものなのだと思います。

これからも精進です。


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