2018年8月4日

つながりを楽しんで生きること(藤田一照)(読書録)

小出遥子著『教えて、お坊さん!「さとり」ってなんですか』の読書録①

小出瑤子氏と6人の僧侶の方との対話集。
今回は初めの藤田一照氏との対談「つながりを楽しんで生きること」の感想。

藤田氏は曹洞宗国際センター所長という肩書の方。
著書も多く、雑誌やテレビでも拝見したことがあります。

アメリカで指導されていたこともあり、仏教を英語で巧みに表現するのが独特で良いです。
日本語では仏教の複雑というか曖昧なニュアンスを伝えるのが難しい場合など、英語を取り交ぜてより理解できるようにしていただいている気がします。
しかし、その英語の意味がわからなくて、まずは英語の意味を調べるところからって場合もありますが(笑)

この対談のテーマの“つながり”という意味は、「彼岸」と「此岸」、「全体」と「ひとり(個人)」、「主」と「客」などを例にあげられています。

元々は繋がっている世界なのに、
“やっぱり、人間はほうっておくと世界から自分たちを切り離してしまうんですよね”“人間は「分断の夢」を見ている”
という表現があります。

そもそも僕自身が繋がっている感覚を実感できずにいますが言わんとする事はわかります。

続いて

“分離しているかのような想定から発した行いは、その結果をきっちり招いてしまう”
自業自得とはこういう意味で、根本的に「惑」(誤解)を覚まさないと解決しないとのこと。
また、頭ごなしに「その行いをやめろ」だと道徳的になり、道徳的にやっていくと、言われたその瞬間はやめるけれど、「惑」が変わっていないと結局また出てきて繰り返してしまう。とのこと。

“「分断」の夢から覚めて、「つながり」のヴィジョンを生きていく。これが「覚」の意味”
“夢から覚めれば、そもそも問題自体がなくなってしまう” 
このあたりがこの対談の真髄なのではないかと思いました。
しかし、その方法っていうのがよくわからないのですが、勉強していきたいと思います。

この「つながり」とは別に興味深かったのは、仏教を学ぶスタンスについて。
仏教を学ぶときの「学ぶ」はcultivateという英語が当てられるといいます。

“cultivateとは、育成、養成、耕すという意味で、「知識」や「テクニック」を身に付けるのではなく、「態度」や「知性」をcultivateしていくのが仏教”
“決まり切った姿勢、正しい動きを覚えるんじゃなくて、動きをその都度学んでいきましょう”
“一方は知識、一方は知性。知性はかたちが無い。既存の答えに頼らないで、それを瞬間ごとにcreateしていくというのが「知性」ということで、それを身に付けていくのが仏教を学ぶということである” 
藤田一照氏の話は高度でいつも難しいと思っています。
 しかし、ただの信仰としての仏教ではなく、知識でもなく、道徳でもなく、人間を高める方法としての仏教を教えてくれるので有難いと思います。

人間を高めるという表現も難しいですが、僕的な解釈です。



イイネ評価はクリックいただけると嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿